インプラント担当DRの紹介
- 山田宗季, 柴田章夫, 木村将司 他 (2016). 歯性感染症が原因と考えられた敗血症性肺塞栓症の1例. 愛知学院歯学会誌, 54(4), 447-452.
- 山田宗季, 長縄吉幸, 木村将司 他 (2015). 30年間経過観察し得た乾癬性顎関節強直症の1例 - 外科的療法の長期経過 -. 愛知学院大学歯学会誌, 53(3), 247-252.
- 岸本敏幸, 山田宗季, 林真太郎 他 (2021). 歯科麻酔領域におけるアスリートに対するドーピング対策. 日本歯科麻酔学会雑誌, 49(4).
- 計画的な周術期の補充療法により遂行し得た血友病A(重症型)患者の抜歯経験の一例. 第28回日本有病者歯科医療学会総会・学術大会 (千葉, 2019).
- Retrograde Peri-Implantitis: A Case Report. Academy of Osseointegration 2018 (Los Angeles, USA, 2018).
- Intraoperative CBCT for Diagnosing A Traumatized Tooth: A Case Report. The 8th Conference of Asian International Association of Dental Traumatology (Bangkok, Thailand, 2017).
- 前舌腺に発生した腺様嚢胞癌の一例. 第40回日本口腔外科学会中部支部集会 (岡崎, 2015).
- 咬筋部勃起性血管腫の一例. 第39回日本口腔外科学会中部支部集会 (松本, 2014).
歯科医師 山田 宗季
【担当DRの経歴】
岐阜県立大垣北高等学校 卒業
愛知学院大学歯学部 卒業
大垣市民病院 初期臨床研修医(歯科)
大垣市民病院 後期臨床研修医(歯科)
愛知学院大学歯学部顎顔面外科講座 専攻生 修了
朝日大学歯学部口腔病態機能学講座歯科麻酔分野 専攻生 修了
【趣味・特技】
弓道 五段【インプラント治療に関連した研修歴・受講歴】
・日本口腔インプラント学会 100時間コース 愛知インプラントインスティトゥート
・ AAID Vancouver Maxicourse 300時間コース ブリティッシュコロンビア大学
【インプラント治療に関連した所属学会】
・日本口腔インプラント学会
・日本口腔外科学会 認定医
・日本歯科麻酔学会
・AO Active member
・米国インプラント学会 専門医(Associate Fellow)
【学会・学術大会における発表等】
学術論文
【学会発表】
幼少期から歯医者を志すまで
小さな頃から私はあまり落ち着きがなく、よく学校の先生に「じっとしていなさい」と注意される少し空気の読めないやんちゃな性格でした。
昔から、質問が多い子で、今でも色んなことに興味が向いていきます。小学生のころは、虫取りやボール遊びなどもしていたのですが、ちょうどポケモンの全盛期(ゲームボーイポケットが出た頃)でしたので、ゲームに明け暮れ、家に帰ればゲームか友達の家でゲームをして過ごしていたと思います。
そんな落ち着きのない私でしたが、小学校5年生の時に学級委員を務めてから、物事の取りまとめをすることが楽しくなり、そういった仕事を任されることが多くなりました。中学の生徒会や大学で学年委員(国試委員)、部活の主将、仲間内の飲み会の幹事、と気づいたらリーダー的な仕事を担当してきました。
歯科医師を目指すきっかけは、両親が歯科医師ということで、幼いころから、歯科を身近に感じていたことが大きな理由です。高校時代は、地元の大垣北高等学校に進みました。当時は漫画やドラマの影響を大きく受け、医学部受験を目指しましたが、肝心の勉強にあまり身が入らず、受験は上手くいきませんでした。浪人するか悩んでいたところ、親友の勧めで歯学部へ進学しました。振り返ってみれば、のちに研修医で当直などを経験するのですが、激務や拘束には耐えられなかったことや、今の仕事にとてもやりがいや使命感を感じているので、結果的にこの選択がよかったと思っています。
学生時代の思い出
学生時代に一番打ち込んだものは部活動の弓道です。
当時国体が岐阜で開催されていて、テレビで中継されてるのを見て、やってみたいと思うようになりました。たまたま中学に部活としてあったので、始めていくとどんどんのめり込んでいきました。弓道は中学・高校・大学と続けました。放課後や部活がない日は道場に行って、おじいちゃん先生に稽古をつけてもらったりしたことがありました。
修行における段階の言葉に「守・破・離」がありますように、わからないうちは型から教えていただけき、難しい教本を自分で読んだり、うまく上達できない日々の中で模索したり、よき友人・ライバルとも切磋琢磨することでの学びをもとに、弓道の技術と共に、人間としても少しずつ成長できました。
歯学部では「オールデンタル」と言って、歯学生だけが参加する、年に一度の全国大会があります。毎年、全国の歯学部生が集まって試合が行われます。歯学部で部活をやる学生は、どの子もその大会に向けて、取り組んでいます。試合では色んな大学との交流もあるので、今でもそういった人とのつながりが出来たことはとても貴重な経験でした。一つのことを大学6年生までやりきれたというのも、良い思い出です。
また私の座右の銘である「人事天命」は、部活動での経験から来ています。それは、ある大会での結果を待っているときの心境です。試合前の準備、稽古から本番、その後に取り組めたこと全部をやり尽くして、結果を待っていたところ、良い成績を実らせることができました。
仕事においても、術前の準備から説明、手術の内容、術後の管理、患者さんやスタッフとのコミュニケーションなど、自分のやることをしっかりこなして、結果が伴ってくれるよう日々心がけています。
大垣市民病院での初期研修
大学を卒業後は、ずっと興味があった口腔外科に進みました。大学で先生方に講義を説いていただく中で、「これからの時代は病気持ちの人も多い、そういう患者さんをちゃんと診られる歯医者にならない」と学生ながら感じたことや、「手術室業務はカッコよさそうだし、一度は体験してみたい」という気持ちでその門を叩きました。
研修先は、地元の大垣市民病院です。当時の市民病院は900床を越える病院でしたので、公立病院の中では日本でもトップクラスの規模・設備の施設でした。
医科の研修同期も歯科研修医の私にフレンドリーに接してくれたことや、研修医をほったらかしにしない面倒見の良い先輩・上級医に恵まれたこともあり、まさに体育会系の研修病院、自分にとっては、部活の延長線上のような雰囲気良いの職場でした。
まず研修の1年目は、歯科では珍しいスーパーローテーション方式で、見学を主体とした各科を回る研修をさせてもらいました。
医科研修医と同じように、いろんな科を回る中で、一緒に手術を見学したり、検査を手伝ったりすることで、全身の病気に関する知識を身につけることが出来ました。印象的だったのは、産婦人科でおなかの中から赤ちゃんが産まれてくるシーンや、心臓外科の手術で実際に鼓動する心臓を目の当たりにしたことです。
当直・宿直業務も経験しましたが、医師は体力・気力がないと続かない大変な仕事なんだなだと痛感しました。
次の2年目の後半からは、歯科に配属されました。
配属されて間もないときに、部長に「おい、こちらの患者さんは君に担当してもらうから頼むぞ」と言われ、ある入院患者さんの歯周病でもう抜けそうな歯の抜歯をしました。これが、歯医者としての初めての処置でした。術後の病棟で、患者さんを診察に行った際には、「これから頑張ってくださいね」と温かいお言葉をかけていただいたことを思い出します。
その後は、カルテ入力や病棟ラウンドの雑用など、誰でもできるような下仕事をどんどんやって、ちょこっと仕事をいただくという感じで、自分のできる手技が増えていくことが楽しかったです。上級医からは「死戦をくぐっただけ上達できるから、たくさん経験しなさい」と言われ、失敗をしたり、怖い思いもしながら、本当に多くの経験を積ませていただきました。
そんな中で、私は何度も壁に当たりました。その中で、今でも気をつけようと思っていることは「目の前の患者さんを自分の家族と同じように思う」ということです。
当時の私は、患者さんの数が多い病院でしたので目先の仕事をとにかくこなす・処理するという感じになり、毎日追われ、仕事観(職業としての倫理観)についてじっくり考えることがなかったのです。仕事に慣れた時期というのも相待って、少しずつだらけはじめたところでした。
カンファレンスで、お粗末なプレゼンをしていたところ、その時のボスに「いいか、目の前の患者さんを自分の家族と思えよ。【ちゃんと】やれ。そんなんだったら、早くやめろ」と、言われたのです。そのときがつーんと殴られたような、今自分は何をしているんだろうという情けないような気持ちになりました。
仕事に慣れてきて手を抜いていたのです。
もちろん人間なので常に張り詰めているわけにもいきませんが、そう言ったことを正面から、私が頭の柔らかいうちに、ボスをはじめ、諸先輩に何度も諭され、正しい方向に向けてもらえたことを、今でも感謝しています。研修は4年間でしたが、良い同期・先輩に恵まれた充実した期間でした。
ビバ・スマイル歯科に入局後
ビバ・スマイル歯科医院に入った当初は、専門の分野が全く違ったこともあり、歯の治療について知らないことが多すぎとにかく焦っていました。
「周りのみんなはもっと学んでいる、早く遅れを取り戻さなきゃいけない!」と感じていました。
ついコロナ前までは、国内外問わず、いろんなセミナーに行って行ってと、せっせと研修に行っては、実際の臨床でどう生かすかということに勤しんでいました。
これからコロナも明けて、また以前のような勉強会にも参加できるようになってきました。今後も水準レベル、それ以上の治療を皆さんに提供できるよう、院長や副院長が築いてきた思いを受け、努力を続けていきたいと思っています。
拙い紹介にはなりましたが、医院を選んでいただく際の参考になれば幸いです。最後までお読みいただきありがとうございました。